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先端業界を支える高精密加工技術を山梨の地で繋いでいくために。

中星工業株式会社
代表取締役社長 近藤 宏和

更新日:2021年12月29日

1985年生まれ。愛知県名古屋市出身。立命館大学社会学部に進学し、ラジオゼミを専攻。2007年に株式会社中京テレビ事業に入社。2012年11月中星工業株式会社に入社し、取締役総務部長に。翌2013年、代表取締役社長に就任。
※所属・役職等は取材時点のものとなります。

イベント会社勤務から金属加工業の経営者へ

中星工業は1967年(昭和42年)創業の金属加工会社です。特にアルミを中心とした溶接と切削を合わせた高精密 な複合加工を得意としていて、現在は半導体製造装置を中心に、自動車、食品、医療機器などのメーカーへ金属加工部品を提供しています。創業地は愛知県名古屋市でしたが、2001年に生産拠点となっていた山梨県に本社を移し、現在に至ります。私は2012年11月に取締役総務部長として入社し、半年後の2013年夏から代表取締役社長となりました。中星工業との関わりは1998年に私の母方の祖父が、後継者がいなかった中星工業をM&Aで受け継いだことに始まります。私が中学生の頃から会社の話は聞いていて、いつか自分が継ぐことになることも理解していました。

 

父は名古屋市で不動産業をしていたのですが、高校生の私はどちらもやりたくないなあと思って、興味があることを仕事にしようと大学はメディア系を専攻。卒業後は愛知県の中京テレビ放送のグループ会社の中京テレビ事業に入社して、5年間、コンサートやイベント運営の仕事をしていました。しかし、中星工業の前社長が早めに退任することになり、後任の社長候補もいたのですが、いつか私が継ぐのであれば早くやりなさい、という流れで入社することになりました。当時はまだ27歳で、良い意味でよく分かっていなくて「何でもやります。頑張ります」という感じでしたね。本当に周りの人々に恵まれていて、私がいなくても実務は回っていく状況だったので助けられました。最初の数年は経営のこと、工作機械のこと、業界のこと、ものづくりのことなどについてひたすら勉強する日々でした。

足りないピースを埋めてくれるキャリア人材を求めて

当社では2015年からキャリア採用に力を入れてきました。きっかけは社員の繋がりから入社いただいた方の存在でした。大手企業で勤務してきた方で、一緒に働き始めてみると、会社に良い影響を与えてくれたんです。会社の事情として、M&A後に経営方針の違いなどから退職した方が結構いました。現在、プロパーの部長たちの年齢は45歳くらいなのですが、その上の世代がいなくなったために、今の部長たちのお手本になる存在がおらず、そのギャップを埋める人材が必要でした。さらに、中小企業の製造業は仕事を勘やコツで進めて「全て頭の中にある」という感じで、資料が紙で残っていないという状況がありがちですが、当社は技術面だけでなく、間接業務も同じような状況だったんですね。中途入社された方は定期的に資料をまとめるなど、大手企業の仕事のやり方を見せてくれた。それは大きかったです。個人的にも仕事が出来る人ともっと働きたい、自分も学びたい、という思いもありました。



半導体業界の好調の波に備えるために

もうひとつ、2015年はメモリーバブルで各国の半導体メーカーがメモリーを大量に作ったり、GAFAがクラウドセンターをどんどん作っていた頃で、お客様からも「半導体の仕事は倍々ゲームで増えていくから、生産能力をしっかり確保してくださいね」と言われていました。他社は工場を拡張していきましたが、当社は広げたところで「当時の私とマネジャーの能力ではうまくやれない、どこかでパンクしてお客様にも社員にも迷惑をかける」というのが分かっていましたし、財務状況も余裕があるわけではありませんでした。そこで、まずは能力ある人に来てもらうことが有効だと思ったのもキャリア採用を進めた理由です。私はいま36歳ですが、ITベンチャーの社長とは違って強力なリーダーシップも社員を教育する力もないので、そこを埋めてくれる人たちを求めたということです。「こういうことで困っているので力を貸してください、本当に助けてください」とお伝えしていましたね。

規模ではなく技術で存在感のある会社を目指す

2015年から会社の売上は年々増えてきて、今期(2021年)も過去最高になります。社員数も私が入社したときは110人くらいだったのが、今は直接雇用が160人で派遣社員を入れると200人を超えてきて、単純にすべてが倍になっています。しかし、私としては会社には規模は求めていなくて、利益率や高い技術力による付加価値を追求していきたい。「中星工業じゃないとできないね」という仕事をやっていける会社にしたいと考えています。とはいえ、現状はお客様から規模を求められるので、それなりの大きさにはなっていますが、無理をしてはいけない、背伸びをしてはいけない、という意識は常にあります。取引先や業界から、当社にポテンシャルがあると客観的に思われたとしても、会社は社長次第。私の能力が上がらないことには、やっても周りに迷惑をかけると思うので、地に足をつけて、身の丈にあった歩みをしようと心がけています。会社がどんな厳しい状況でも維持できる状態であることが前提ですが、無理はしたくない。社員も給与や環境、仕事内容に相応に満足して、相応の幸せを感じながら過ごしていける会社にしたい。この先、いつか引き継ぐ次の社長にしっかり渡せて、そこから長くやってもらうことが私の仕事だと思うので、石橋を叩きながらやっていくという部分はありますね。

キャリア人材からの学びで自社のものさしが出来ていった

2015年は内閣府のプロフェッショナル人材事業もあったので、それも利用しました。リージョナルキャリア山梨の太田さんともその時に最初にお会いしたと思います。初年度から、大手企業を経験した方を3人採用できて、それぞれ製造、間接、営業に入ってもらって良い変化は多かったですね。そういう方々から、よく「会社って普通こうじゃないですか」と言われるのですが、私は何がスタンダードか分からないし、周りの社員も知らないわけです。もちろん私もトップとして判断していくために勉強していましたが、やはり肌で分かっている人と一緒に仕事をすることで身につけることができたという感覚です。そして、会社の在り方の話を聞いていくなかで、うちの会社文化にはこれは合うけど、これは合わないというふうに、自分なりのものさしを作っていったという感じですね。とにかく私のレベルが上がらないことには、社員にもお客様にも迷惑をかけるので、常に学ぶことは意識してきました。

社員のために、社員目線で職場環境を作っていく

最初に入社してくれたキャリア採用の方は、2年で退職されたんですが、当社に来てくれて本当に良かったと思います。社内の全ての部門について「こうやって考えていくんだ」ということを教えてくれて、プロパーでいま活躍している40代の社員も「あの人の仕事は本当に勉強になった」と話しますし、他の社員からも「辞めてしまって寂しい。でも採用してくれてよかったです」という声を聴きました。そういうふうに社員から「社長がこの人を採用してくれてよかったです」と言われるのが一番うれしいですね。ここ数年は毎年、20~30代と50代の中途採用を行っていて、定着率も年々良くなっていますし、経験の長い人からも良い会社だと言ってもらえているので、少しずつ理想に近づいていると思います。

 

母は祖父から「いま幸せに生活させてもらっているのは、会社の社員さんのおかげだよ」と言われて育ったようで、母経由で私も同じように聞かされてきました。お客様はもちろん大切ですが、まず身内を大切にというのは自分の中に染み込んでいて、社員さんが頑張っているから私も飯を食わせてもらっているという思いは根っこにありますね。事業案件の判断は別ですが、働く場所を作る責任が私にはあるので、何かを決めるときはいつも社員目線を忘れないようにして判断していますし、これからもそうありたいと思っています。

編集後記

コンサルタント
太田 穂積

初めて訪問した際、近藤社長からパワーポイントで直接会社について説明をしていただき、採用に対する熱量を大いに感じました。更にはご自身の経歴を開示してくださるオープンなスタンスかつ事業も大きく伸ばしていらっしゃる姿に、すぐに同社のファンになりました。また、工場見学をすることで、機械加工だけではなく、溶接工程も備えており、お客様に高い付加価値提供をされていると分かりました。今回のインタビューを通して、「会社は経営者の器にしかならない」という言葉を思い出したのですが、まさに近藤社長の謙虚な姿勢、従業員を思う経営姿勢がこれまでの会社をつくり、そして今後の会社の成長を支えていくのだと感じました。

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