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ミヨシの花を小淵沢から世界へ。種苗という知的財産で笑顔を届ける。

株式会社ミヨシグループ
代表取締役社長 三好 正一

更新日:2022年6月22日

1971年生まれ。
1995年 株式会社ミヨシ入社と同時に、アメリカの種苗会社ボールホルティカルチャーカンパニーに出向
1998年 帰国し、福岡営業所にて営業活動に従事
2001年 小淵沢にて種苗生産業務関係に携わるとともに、取締役就任
2007年 副社長、グループ会社社長を経て、代表取締役社長就任
※所属・役職等は取材時点のものとなります。

山梨県小淵沢を拠点に花や野菜の育種・育苗を展開

ミヨシグループは切り花や鉢物、花壇、野菜の品種開発と種苗生産を手掛ける総合種苗メーカーです。創立は1949年(昭和24年)で、先々代である私の祖父が戦後に会社を作りました。祖父は「サカタのタネ」で働いていて、上海支店長なども務めていました。東京で独立創業し、農場を作ろうと思い立って大学時代の同級生に相談した縁で、昭和40年代に当時の山梨県小淵沢町に土地を得て、現在に至ります。

小淵沢は東京や名古屋からも近く、高冷地なので植物の生育もいい。そうした土地の良さを分かっていて、この地を選んだようです。私は東京生まれ、東京育ちですが、小さい頃からしょっちゅう小淵沢に来て、ポニーに乗ったり、川で遊んだりしていたので、ここが私にとってのふるさとのようなものです。

1993年(平成5年)に先代である父が、小淵沢に八ヶ岳営業育苗センターを開設し、そのときに本社機能を東京からこちらに移しました。開発・生産と営業を一体化して、体制強化を進めたいという意向だったそうです。現在、育種開発は静岡にも研究農場があるほか、マレーシアにも展開を進めているところです。

創業時から取り組む組織培養技術は世界トップクラス

ミヨシグループの特徴としては、同業他社が野菜中心なのに対して、当社は花が中心。創業者が花好きだったんですね。なかでも切り花用の育種・育苗が得意です。

野菜も含めた種苗の販売先の中心は、国内や海外の生産者。特に海外では日本産のミヨシブランドとして展開し、約60ヵ国に向けて販売しています。

花種苗生産のなかでは、創業時から取り組んでいるフラスコの中で無菌の状態で増殖させる「組織培養」が得意で、世界でもトップクラスの技術を誇っています。

お客さまから評価いただいている点は、まず品質の良い新品種を生み出しているところだと考えています。さらに、生産する種や苗のクオリティも高い。それらが連動しているのがミヨシグループの良さだと思います。

育種においては、色や咲き方などの見た目の新規性に加え、さまざまな機能性も求められるようになっています。これからはエネルギー価格も高くなりますから、冬でも暖房を使わずに作れる耐寒性、逆に気候変動で各地が暑くなってきているので耐暑性、人間と同じようにさまざまなウイルスが出てくるので耐病性、早く咲かせる早生性などが重視されてくると考え、開発を進めています。

花のほかにはイチゴにも力を入れていますが、イチゴの場合は味だけでなく、輸送性に優れた実にすることも重要です。昨年リリースした「ベリーポップシリーズ」というイチゴは、日本の企業初の種から栽培できるイチゴです。

植物を扱う仕事はロングスパンでの思考が必須

当社では、営業が生産者の方のところに直接伺って、話をする機会が多いです。花や野菜を育てることに関して、一番詳しいのは生産者さんであり、その方々に対して我々がきちんとアドバイスできる知識や技術を持っているかどうかが、関係性を作っていく上で重要だと思っています。社内では技術営業と呼んでいますが、それぞれの社員が知識を高める努力をしています。

植物を扱う仕事は、長いスパンで取り組まなければならないことばかりです。品種開発であれば、ひとつの品種を作るには最低で5年、長いものでは10年かかります。営業も一人前と言えるまでになるには、やはり10年くらいは必要です。そういう意味では中期、長期でものを考えられるということが、当社で働く必須条件かもしれません。

生産者の皆さんのもとに通う営業は、お父さんの代から始まって息子さんとも付き合って、という連綿とした繋がりがあります。私の場合は、地方の種屋さんなど中間業者さんとも長くお付き合いさせていただいている。そういう関係性が日常的にあることで、信頼が続いていく感じですね。業界としては、地道なことの積み重ねの産業です。種ひと粒何円の世界ですから。

ただ、種苗はエッセンシャルなものであることは間違いなく、ひどく落ち込んだり、不安定になったりするものでもありません。そういう点では、とてもありがたい仕事だと思っています。

花と共に働く人々の姿から、この仕事の魅力を学んだ

私自身は2007年、35歳のときに当社の社長に就任しました。実は、若い頃は会社を継ぐ気持ちはまったくありませんでした。先代の気持ちはなんとなく感じてはいましたが、継いでほしいという話を直接されることもなかったですね。

東京の世田谷生まれで、小学校からラグビーをはじめて、学生時代は、まずラグビー、次に仲間と遊ぶ生活だったこともあり、大学受験時は浪人生活も経験してから大学に進みました。

大学卒業後、アメリカにある世界的な種苗会社、ボールグループの本社や各農場で4年弱の出向、いわばインターンとして働かせてもらったのですが、そのときも修行というより、英語が話せるようになっておきたいという気持ちの方が大きかった。高校の同級生がみんな一流企業に入っていて、彼らに追い付くためには自分にも何かないと、という思いだったんですね。

ただ、そこで出会った人たちが皆さんとてもいい人たちで。出張で来たミヨシの社員のアテンドもしていましたが、「みんな本当に花が好きなんだな」と感じて、彼らを通して植物の良さを理解していきました。

帰国後はミヨシの福岡営業所で2年ほど営業をして、その後小淵沢で生産関係の仕事をした後、副社長に。33歳のとき、グループ会社エム・アンド・ビー・フローラの社長に就任し、そこから社長業がスタートしました。

海外展開へのさらなる注力が今後の鍵

お客さまからは当社に対して、「朗らかな社風で、社員の皆さんの挨拶が明るくていいですね」といった声をいただきます。やはり花や野菜など、植物全般が好きで入社してくる人が多いですが、逆に興味がなかったとしても仕事をしているうちに好きになれる要素はきっとあると思います。

私たちが手掛ける農業というジャンルは社会問題のひとつでもありますから、それに対してきちんと考えられる社員であってほしいと思っています。当社は業務上、農薬もプラスチックも使うので、SDGsに対して問題意識をもって取り組んでいかなければなりません。社内ではプロジェクトを作って取り組んでいますが、農薬やプラスチック使用をどう減らしていくかなど、自分ごととして考えることができる社員が必要だと思っています。

また、会社の成長を考えると、今後はさらに海外にも市場を広げなければなりません。海外展開はこの業界を挙げての課題でもあると思います。種苗は知的財産ですし、産業としては非常にインターナショナルです。そのためにも海外展開に積極的に取り組んでくれるアウトゴーイングな社員がさらに増えていくといいなと思っています。

違う感性同士の掛け合わせで生まれる新しいものに期待

採用にあたっての、人材に対するレンジは広いと思います。真面目なところがあるか、義に対するこだわりがちゃんとあるか、というところは見ていますね。

昔は大学の農学部を卒業した人の採用がほとんどでしたが、いまは多様な人材を採用するようになりました。また、中途採用によって、いままでの会社になかった能力や視点が入ってくることも、随所でプラスに働いていると思います。同質だけでは、掛け合わせても新しいものが生まれることがあまりないからです。

また、長くやっていると、ややもすると業界の常識に囚われるということもあるので、中途採用の社員が刺激になってくれたらと思っています。

私は小淵沢に来て20年が経ちますが、当初は都会のネオンが恋しかった。でも、いまは自分の人生がここにあることの幸せを噛み締めています。振り返ってみると、20代で行ったアメリカも田舎だったし、福岡に住んだときには地方都市もいいなと感じることができた。その積み重ねで、いまの価値観があると思いますね。

ですから、Uターンでも、Iターンでも、多くの人にもっと地方に来てほしい。実際、私の家の近所には、若い世代が家を建ててどんどん移住してきています。そういう時代なのだなと感じています。そして、この流れは我々にとっては、多様な人材を採用できるチャンスだとも思っています。

編集後記

コンサルタント
太田 穂積

三好社長のお話をお伺いする貴重な機会をいただきました。取材当日お会いした瞬間からポジティブなオーラを出されており、そうしたお人柄も経営に大きく影響を与えていると感じました。

また、三好社長の地方に対する愛情と、小淵沢からコツコツと誠実な仕事を積み重ね、国内のみならず、世界中に同社の種苗を広めていきたいという熱意がひしひしと伝わってきました。引き続き採用支援という立場から同社を応援していきたいと思います。

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