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「まる」から生まれる笑顔と豊かさ。澤田屋が実践する恩送りの経営。

株式会社澤田屋
代表取締役社長 黒澤 晋太郎

更新日:2024年8月07日

千葉県生まれ。2004年大学卒業。
2005年 東京の不動産会社入社。営業に従事。
2012年 株式会社澤田屋入社。
2016年 代表取締役社長就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

突然の後継者指名を受け、妻の家業に入ることを決断。

当社は1911年の創業から110年以上にわたり、生菓子の製造・小売を生業としてきた老舗菓子店です。私が5代目で、初代から今まで、娘婿が代表を受け継いできたという少し変わった歴史を持っています。創業当時から甲府市に根ざし、地域やお客さまとともに歩んできました。

澤田屋と私の接点ができたのは20代の頃です。当時は東京で不動産会社の営業をしており、同僚として働いていた妻と知り合い社内結婚しました。このまま東京で暮らそうと思っていましたが、妻の祖父が訪ねてきて、「後継者がいなくて困っている。澤田屋を継いでくれないか」という打診を受けました。

経営の経験が一切なかったため悩んでいましたが、妻の祖父は私の実家にまで足を運んで熱心に説得してくれました。そのとき父が「サラリーマンとして生きていたら、こんなチャンスは一生訪れない。きっと強い縁で結ばれている証拠だからやってみなさい」と背中を押してくれました。

そこで妻と話し合い、経営に携わる決意を固め、30歳で甲府市に移住し、澤田屋に入りました。

迫る会社存続の危機。「やるしかない」使命感から34歳で代表に。

菓子業界が未経験だったため、入社後は職人のもとで菓子製造の基本指導を受けるところから始めました。さらに、前職の営業経験を活かして取引先を回るなど、ひと通り社内の部署を経験した34歳のとき、再び祖父に呼ばれ「社長になってほしい」と言われました。

もともとは「40歳で代表を受け継ぐ」という話で入社しましたから、事業承継が6年も早まって驚くことしかできませんでした。しかし、当時の澤田屋は赤字が続いていたことや、現場で働くスタッフの様子など社内事情について詳しく知るうちに、祖父が会社の存続に対して強い危機感を持っていることが伝わってきました。

祖父は会社への想いはもちろん、従業員への愛情も非常に深い人でした。「経営の経験がまったくない私にできるだろうか」と不安に思いながらも、会社を変えるという大きな使命を受け、「とにかくやるしかない」と右も左もわからない状態から経営者としてスタートしました。

5年を超える組織変革が実を結び、長年の赤字を脱却。

私が代表を受け継いだ頃の澤田屋は、従業員100名超、直営店は12店舗という規模でした。当時は、お客さまに求められるままに商品ラインナップを広げた結果、250種類ほどのお菓子を作っていて、製造プロセスが非常に煩雑化していました。

また、社内統制にも問題を抱えており、従業員間や店舗の雰囲気も良いとは言えない状態でした。そんな状況が売上の低迷につながっていたため、社長としての最初の仕事は「黒字化を目指すこと」に決めました。そこでまず着手したのは、紙の帳簿で管理していた数字を片っ端から見て、商品ごとに売れ行きや廃棄率などを算出することです。

毎日の数字は記録されていましたが、それを俯瞰して見てこなかったために、手当たり次第に商品が増え、赤字を招いていることがわかりました。算出した数字をもとに幹部を説得し、商品数の絞り込みを決断しました。もちろん、商品の多くは会社にとって思い入れのあるものばかりでしたから、絞り込みは困難を極めます。

それでも「量より質」というスローガンのもと、澤田屋らしい商品、澤田屋が作るからこそ意味のある商品に注力しようと考えました。最終的に、社長就任からコロナ禍に入る直前までの5年ほどをかけて、直営店は12店舗から1店舗へ、商品数を40種類程度にまで厳選。その結果、念願の黒字化を達成できました。

自ら挑戦できる人とともに、澤田屋の新しい伝統を作りたい。

当社の主力商品である「くろ玉」は、青えんどう豆で作ったうぐいす餡を丸め、黒糖ようかんにひたして作ります。1日およそ1万個をすべて手作業で製造しますが、大量生産のお菓子とは異なり、一つひとつ違う表情を持っています。機械化や効率化が進む世の中で、手づくりならではの温かみや、アナログだからこそ提供できる価値が澤田屋の魅力の一つだと思います。

よく老舗企業で言われる「伝統を守る」という言葉は、私は一般的なものとは異なる意味で捉えています。伝統とは「今」の積み重ねであって、ふと振り返ったときの軌跡が伝統と呼ばれているのだと思います。もちろん守るべきものを受け継ぐことも重要ですが、それにとらわれすぎず、「今できる最善」に挑戦する中で、新しい伝統を創り上げていくのが理想です。

澤田屋が求める人材は人間力のある人です。相手の気持ちに寄り添える、逆境の中でも前向きな考え方ができる、そして自ら挑戦できる人。ビジネススキルはそれほど重視せず、菓子業界が未経験でも問題ありません。自分自身にしっかり向き合い、自らの成長のためにあえて難しい道を選べる人はとても魅力的です。

近年は中途採用も積極的に行っていますので、ぜひさまざまなバックグラウンドや視点を持った人と一緒に働きたいですね。

社会に「おいしいまる」「たのしいまる」を届け、後世に受け継ぐ。

当社はここ数年、リブランディングを積極的に進めています。110年以上の歴史を持つ老舗の良さを活かしつつ、店舗のあり方・商品イメージなどに新しい価値を見出し、時間が経つほどに輝きの増す「経年優化」を社内外に伝えるのが狙いです。

コロナ禍に3年ほどかけて新しいミッション・ビジョン・バリューを定めましたが、中でもミッションの「おいしいまるをつくり、たのしいまるをつくる。」は澤田屋が行うすべての活動の根底となっています。

「おいしいまる」とは、「くろ玉」をはじめとした商品づくりを通しておいしいものを届け、新しい食の提案を行っていくこと。「たのしいまる」とは、当社の商品を渡す人・食べる人が笑顔になり、澤田屋からお客さま、そして社会へと幸せの輪を広げていくことを指します。

また、ビジョンの「『まるを、おくる』が日常に。」という言葉には、「恩送り」の大切さを後世に伝えたいという想いを込めました。今私たちが豊かな生活を送れるのは、先人たちがさまざまな努力をしてくれた結果です。

例えば、子育てなら、我が子にかっこいい背中を見せて立派な人間に育てる。事業なら、地域の活性化につながる活動をする。こういった次世代の基盤作りに力を注ぎ、先人たちから受け継いだものにますます磨きをかけ、次世代へバトンを渡すことが、当社の事業の意味だと考えています。

食を通じた豊かさを広く伝え、末永く地域とともに。

澤田屋は菓子店ですが、事業内容はあくまでも手段の一つでしかありません。その先にある目指すべきもの、例えば原材料を作る生産者の想いを伝えることや、地域の文化をお菓子に反映すること、そして従業員の成長といったものが何よりも重要です。

売上や利益ばかりを追うのではなく、社会性を重視して「会社として地域に何を残していくのか、何を伝えていきたいのか」を常に大事にしたいと考えています。

近年では「食」という大きなカテゴリーに範囲を広げ、サーキュラーエコノミー(循環経済)に取り組み始めました。山梨県は農家が多く、廃棄される食材や原料がまだまだ多いのが実情です。それらの材料をお菓子づくりに取り入ることができないか、模索しています。

その活動によって「こういうものが廃棄されているんだ」「それがこんなにおいしくなるんだ」と、お客さまが知るきっかけになるなど、商品を通して伝えられることはたくさんあります。

今後も、当社では、お菓子に限らずさまざまなものにアンテナを張り巡らせ、全社一丸となって挑戦を続けていきます。そのなかで、従業員から「こんなことをやってみたい」という声やアイデアが上がるのも、もちろん大歓迎です。

どのような事業を行うにしても、山梨県で長く商売をしてきた老舗だからこそできる仕事、伝えられることがあるはず。今後も、お客さま・地域社会・従業員に「おいしい」「たのしい」を届け続ける企業でありたいと思います。

編集後記

コンサルタント
風間 尚輝

黒澤社長より伺ったお話は壮絶なものでした。社長就任時は、赤字脱却のために経営陣やOBなどさまざまな方と意見をぶつけ合い、多くの葛藤があった中で「選択と集中」を繰り返しながら、やっとの思いで黒字を実現。そして、現在の業績は過去最高益となっています。

また、伝統ある老舗企業だからこそ「守破離」の考えを大事にしていると仰っていました。先人たちの伝統を守りながらも、今の人たちが創意工夫して現代に応用したり、発展させたりしていくことで新しい色(伝統)をつけ、また次世代に渡していく。

同社のさらなる発展に向けて、採用支援という立場からご縁(まる)を繋ぎ、応援していきたいと思います。

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